冷たい部屋からの脱出
ジャクシャクジャクシャクジャク(冷たいシャワーを浴びながら揺らす)
本当にキーイン(マンション内に鍵を置いてくること)する奴いる?いねえよなぁ!?とこれまで思って生きてきたが、ついにやってしまった。深夜も深夜だったので、「詰んだ......」と思い額から汗がめちゃ吹き出して面白かったが、自分の郵便物を回収し続ける人のふりをしながら他の人を待つことで玄関の侵入に成功。自室はオートロックではなかったので、一命を取り留めた。これあまり書かない方がいいですか。
作業。いつものように自習室で作業していたらモーレツな腹痛がきて帰宅してしまった。昼油っこい目のラーメン食べたからだろうか。もう若くないという物的な証拠がいよいよ集まりつつあり、起訴も秒読みという段階である。20代でこれですか。まだまだこれから体調が下降を続けることに、ストレートな恐怖があります。頑張ります。オモコロ杯の原稿、終わっていません。明日やります。
会社の飲み会終わり、上司が客から「こんなミスをするのはあり得ない、しっかりして欲しい」と陰で文句を言われていた(しかも上司には直接の責任が無い)話を聞いたらしく、落ち込んでいた。どう考えてもわざわざ本人言う必要なくない?と繰り返す機械になってしまっていて、それはその通りなので、かわいそうになり慰めていた。
ただ、正直を言うと全くシンパシーは感じられない。客から文句言われたと聞いて、不快になることこそあれ、心底落ち込むことはない。それは「客を満足させる」と言う理想を自分の内に掲げ、努力してこないと辿り着けないところだ。そこに自分が求めてきた理想と、客の声という現実のギャップが存在したと言うことだから。私自身は全くそういったビジョンで働いて無いので、一時的に本当に不快になるだろうが、「そうですか」となって終わりだ。喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのである。だからその時の上司のことは、立派だなと思った。こうはなれないな、とも。
以前実家に戻った時に、教員の父が部活を持ちたがらない若者に対して、「金さえもらえりゃいいのか」と怒っていた。これは少し的を外していて、「金さえもらえりゃいい」という積極的な開き直りすらおそらく無い(いっそ公言しているなら清々しいと思う)。もっと消極的に、痛みや責任に対する回避行動を続けるような日々を過ごすこと。極端に言えば、吉良吉影のプライドと怠惰を内面化したような人間たちには、自己にも他者にも期待がない。孤独で冷たい理想なし人間。私自身にもそういう部分があり、自分のそう言うところがこれまで全く好きになれていないので、何とかしたいとずっと思っているのです。
こないだ、「Escape from The BLUE ROOM」というリアル脱出ゲームに参加した。例によって脱出ゲームはネタバレがあるため詳細は触れられないのだが、本当に面白すぎた......
脱出ゲームってこんな自由なんだ、という、これも毎回言ってるな。
言える範囲で言うと、この「Escape from The BLUE ROOM」は「Escape from The RED ROOM」の続編という立ち位置で、通常の謎解きとは異なる常設型の公演なのだ。「Escape from The RED ROOM」は参加したことはないのだが、もう10年近く公演をやっているらしい。一個の公演を10年!!もし大スベりして客が入らなかったら大事故である。狂気の沙汰だ。
実際に建物に行くとわかるのだが、脱出部屋への入り口の壁が軒並み真っ青になっている。じゃあもうこれ以外で使えないじゃん。覚悟すごすぎる。その分、作り込みに成功させるという気合を感じたというか、社運がかかっている迫力を感じて良かった。それでいて柔軟な発想が求められ、ここ一年のリア脱の中では一番満足感があったな。
帰宅した後、居酒屋に行った時の注文画面(あれどこのベンダが作っているんだろう)がスマホのブラウザに残っていて、今注文して家にビール届いたら怖すぎるし面白い、と思った。